2008年04月29日

「かもしれん」は「南無阿弥陀仏」を超えるかもしれん

 久し振りに映画を観に行った。最近少し忙しくなってきて、めっきり映画に行く機会が無かった。題名は「ネクスト」というもので、自分に関する未来だけは2分先まで見えるという男の物語だ。詳細な内容は置くとして、その主人公が言ったセリフが私にはとても示唆に富んだもので、正直ハッとさせられた。
 「僕には見える未来が、その時々で変化する。何故なら、未来とは、それが見えた時点での未来であって、時が進めば、その進んだ間に行った事が未来に影響を与え、次の時点でそこから見える未来に変わる」というセリフだ。正に運命は自らの努力で変えられるという事を示している。

 一般に振興宗教の教祖とか霊感のあるような人は、神が降りて来て未来が見えたとか、啓示があったと言う事がある。私はそういう事って確かにあると思う。その時は、その時点ではっきりと見えた未来だと思う。問題なのは、そこからであって、そういう人の多くは、その見えた世界をずっと変わらない不変の真実のように信じ込んで、その後の人生や未来を決める人がいる。
 しかし、私は、そのような未来になる事もあれば、そうならない未来もあると思う。つまり、その未来が見えた時点の私がとても正直で素直で純粋でも、その後知らず知らずの間に怠けたり、自分がきちんとしていても、社会の集合的無意識の方に変化が起これば、その後の未来は変化する。世の中には霊感や霊能者等を過度に絶対視する人が多いが、それは私は考える智恵の放棄だと思っている。
 世の中は勝ちと負けのどちらかというような単純なものでは無く、勝ちもあれば負けもある。引き分けもあれば、一部勝ち、一部負け、最後はどちらとも引き分けとも何とも判断出来無い神かがりもあれば、負けるが勝ちもある。そんな複雑な世の中では、信じながらも信じない。熱心に学びながらも学んだものを捨て去る。人事をつくすが天に委ねる。親密になり過ぎないが、疎遠にもならない。等々、西田哲学の「絶対予盾的自己同一」を地でゆく事が智恵だと言って来た。
 ところがこのように書くととても難しく感じられるので、私は誰でも実践できる、複雑な世の中を生きる智恵として宗教を提唱している。と言っても、ごくごく身近な人にしか布教をしていないので、殆どの人は知らない。私が教祖で、現在信者は私だけかも?その宗教の名は、じゃじゃ~ん「かもしれん教」と言う。どうです、このありがたい響き。
 何度唱えても美しい響き「かもしれん」。「か~もしれん、かもしれん」とただ唱えるだけで、心の中から執着が剥がれて、清々しい気持ちになる。未来が変化するそれを適確に捉えた言葉「かもしれん」。
 宝くじに例えて説明すると、殆どの人は宝くじは当たらないと思っている。それは正しい考えだと思う。事実私は宝くじは当たらないと信じているし、だから宝くじは買わない。しかし、もし、1枚でも宝くじを買ったとすると、ひょっとしてひょっとして当たるかもしれん。私は絶対当たらないが、少しでも買った時点で当くじは当たるかもしれんものとなる。
 同じように、人生でも努力をしたからと言って報われるとは思っていない。むしろ正直者がバカを見る事の方が多いかも知れない。しかし、努力をした人だけが、素晴らしい未来を掴むかもしれん。努力をする人だけ権利が与えられる。権利は与えられても結果が与えられた事にはならないけれど。しかしこれだけは絶対言える。自助努力をしない人にだけは、絶対に素晴らしい未来は与えられない。
 松下幸之助先生は「人事をつくして天命を待つ」とおっしゃったが、ちょっと前時代的な感じで固く感じる。
 さぁ、もっと分かりやすく、それでいて凄まじい効果を発揮する魔法の言葉、「か~もしれん、かもしれん」。はい、もう一度「か~もしれん、かもしれん」。このお経を我がものにするなら、あなたの未来は絶妙な自力と他力のバランスの上に最高の結果を生み出す事、間違いない、か・も・し・れ・ん。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月27日

人理学的に考えるとしたら…その答えは…

 私達の生きている社会は人と人とで成り立っている。人と人で成り立っている社会には、人と人との理論や学問がいる。その人に関わる学問という事で、私はそれを「人理学」と称して人々に伝え始めている。
 人理学的視点に立って現状と向き合って改革をしてゆく。すると、そこで働いている人々が活性化しやる気を出す。こういう流れで会社が立ち直る。今日は人理学的アプローチの例を見てゆこうと思う。

 昔の工場はオートメーションと呼ばれ、ベルトコンベアの上を製品の各部品が流れて、担当の組立員は、それぞれのパートの決まり切った組立て作業をただひたすら熟練し、効率を上げる。そういうシステムによって製品を完成させていった。今、「昔の工場」という言葉を使いましたが、私のような工場についての知識があまり無い素人からすると、工場と言えば、未だにオートメーションのような勘違いをしています。このオートメーションという考えは、物理学的なアプローチなのです。人というものが感情を持たないとするならば、この考えはとても理にかなったやり方なのです。ただただ機能的にやってゆくだけでいいのですから。
 ところが、これを人がやるとなると、これは少々やっかいな問題が持ち上がる事となる。人と機械の違いは何でしょうか?
これはもう言うまでもありませんね!人には“感情”があるという事なのです。人は毎日同じ事を繰り返していると、だんだんつまらなくなって効率が落ちてゆきます。機械ではこんな事は起こりません。
そして最後には、俺はこんなところで毎日同じ事をやっていて、一体俺の人生は何なのだろう?俺の人生はこれで良いのだろうか?等と考え込み、いずれ熟練したとしても、辞めてゆくという事が起こる。

 この工場生産方式に人理学的理論からアプローチをして革命を起した人がいる。その人の名前は山田日登志という。人々はその人を工場再建屋と呼ぶ。彼はソニー、キャノン、NECで驚異的な生産改革を成し遂げた。トヨタの育ての親、あの大野耐一の直弟子なのだ。山田日登志が考え導入した生産方式がセル方式と呼ばれる生産方式である。セル方式はそれまでの考え方とは全く異なり、1個の製品を1人、多くとも数人で仕上げる。物理学的にはとても効率が悪いように思われる。ところが、人理学的にはこのセル方式の考え方は正しい。それは1個の製品を自分が作ったという満足感と充実感。それから自分で考えて創意工夫をする喜び。人として生きてゆく上で幸せと感じられる感情がオートメーション方式では無く、セル方式にはある。人は感情の動物だという至極当り前の事が、物理学しか習って来なかった人間には中々こんな当り前にも気付けない。最も、生産者がロボットに替わるなら、次はオートメーション方式の方が有利になるだろう。
 私達も自分を振り返ったら、「お金だけじゃない。喜びが大切」。そういう生き物なのだ。

 昔日本に最初のプロサッカーリーグのJリーグが生まれた時の話です。それぞれのチームはおらが村の地域に根ざした地元リーグ。当然有名なプロ選手は日本以外の国に求めなければならない。しかし、有名な外国のプロ選手は、聞いた事もない日本の、しかも田舎のプロチームに移籍する事は恥のように思っていた。資金も無い、名も無い鹿島という地のチームが、ブラジルのサッカーの神様と呼ばれていたジーコにチームへ来てくれるように頼んだ。誰もが来るはずは無いと思っていた。何故なら、物理学的に考えると、イエスと言える余地が全く無いのだから。しかし、ジーコは鹿島にやって来た。人々の熱い熱い思いと、まだ真っ白な日本のサッカー界に自分は貢献したいというジーコの思いが1つになって。

 人は往々にして理屈に合わない事をする。私の友人にも市役所を辞めて、ボランティア活動に専念している人もいる。又、ベトナムの赤ひげ先生と異名を持つ服部先生は、全額自費でおまけに無報酬で年間1000人の患者さんに手術をしておられる。
 人は理動では無く、感動する生き物なのです。人は物理という理屈では動かないが、人理という理屈なら、理屈では動く。何故なら人理学は感動を科学し、人を科学した理論なのだからです。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月26日

父親の使命は生命保険だと思っている

 私が日々コラムを書いているのは、とても私的な理由がある。私の中には「父親生命保険論」という理論があって、誠に勝手な理論ではあるが、「父親は家族に危機が生じた時に全てを独りで引き受け、世の中の誰よりもその危機を乗り越える力を持っている。だから家に居る事は少なく、世の中に出てゆき、いつも自分を磨いている。だから、家族から父親が頼り甲斐があり、偉大に見える機会が少ない事が、実は最も家族として幸せだ」という事。
 家族が幸せであるという事は、父親が死ぬまで、いや、死んでも一体自分達の父は如何ような男であったのかを知る術が無い。生命保険は父の死がもたらす結果のように…。
 そこで、私は、少しずつ時間をかけて、我が子に遺書を書いておこうと考えた。子供が成長して、母の手を離れ、独り社会と向き合った時に、父として子供にしてやれる事、生きていれば幸いだが、私の命は決して長く無い可能性がある。この遺書が子供達にとっての唯一の父親になれる方法だと思った。
 又、私の会社を誰かがもし引き受けて経営をする事があったなら、松下幸之助先生のように創業者の心に触れる事が出来る。少しここで現在の松下について、私的な考えを1つ書いておこうと思う。

 松下幸之助先生がトップに居た時も、何度も大きな危機があった。日本軍の要請で松下造船株式会社と松下飛行機株式会社を設立し、協力をした。この事が国策会社とGHQに睨まれ、解体の圧力がかかった。常務以上の重役が旧軍零会社の役員として公職追放の指定を受けた。
 今日の触れたいのは、昭和4年の大恐慌の事です。松下は、昭和4年5月に新本店・工場も完成し、発展していた。ところがニューヨークの株価暴落に端を発した世界大恐慌が日本にも押し寄せ、日本経済も痛烈な打撃と深刻な混乱に陥った。工場閉鎖や首切りが一般化し、街には失業者があふれ、社会不安が高まった。松下も売り上げが止まり、倉庫が在庫で溢れた。重役は、従業員を半減して窮状打開を提案した。しかし、松下幸之助先生は誰1人解雇する事無く、この窮状を打開した。これで松下は人に温かいと世に知らしめ、社員の志気はいやがおうにも高まった。
 ところがバブルが崩壊し平成の大不況の中、現在の松下は、2001年に大規模なリストラを実行し、成果主義を導入した。あの松下の志を転換した。実はそこから先の出来事を予想していなかった。
 松下をはじめ日本の大企業からリストラされた熟練の技術者達は、成長著しいアジア諸国にその見事な腕を見込まれ再雇用されていったのです。
 今ではアジア諸国ではサムソンブランドが家電ではNo.1で、パナソニックはその後塵を拝している。平成不況は過ぎ去っても、日本の屋台骨のモノづくりはその大きな後遺症からは全く抜け切れずにいる。一体天国の松下幸之助先生はどのような思いで見ておられるのだろう。
 物理学に長けた頭の良い高学歴者の見える世界は、人理学に長けた苦労と智恵の松下幸之助先生には及ぶべくも無い。如何に正論は信念の前には脆いかを私は今の松下に一面を見る。
 最後に「父親生命保険論」には条件が2つある。1つは、自分が一家の経済的大黒柱だというしっかりとした責任感と向上心が必要である。しかし何よりもっと大切なものは女房が夫を信じてそれを許してくれる事だ。夫婦としての縁には2タイプあって、「内型」と「外型」がある。詳しくはまた説明の機会もあろうかと思いますが、外型の縁の夫婦である事が条件だ。よくこの事を知らずに夫が世の中へ飛び出してゆくと、大変な事になる事だけは注意書きとして今日はおしまいにします。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月24日

アレキサンダ-大王に帝王学を授ける人はどんな人?

 今、タイガー・ウッズ以上のプロゴルファーは今世界に居ない。ならば、タイガー・ウッズにはコーチはいないのだろうか?
 以前に、私が若者に「帝王学を授けてあげてあげようか」と言ったら、その若者の答えがシャレている。「帝王にもなった事の無い人間に帝王学は教えられるか?」と。彼は歴史を知らない。世界史上最初の大王、アレキサンダー大王の師は、ギリシャの哲学者アリストテレスだったと言う。あのベトナム戦争で、大国アメリカを向こうに回して勝利したベトミンを最初に指導したのは、そのアメリカに破れた日本の関東軍の軍事顧問団であった事を知る人は少ない。
 松下幸之助は尋常小学校4年生が最終学歴だが、政治家や経営者の師となった。尋常小学校卒に東大卒・京大卒が教えを乞う。あの西郷隆盛には月照という僧が居り、吉田松陰には佐久間象山が居り、坂本龍馬には勝海舟やトーマス・グラバーが居た。本物は、相手が誰かより、その人間の中身を重視する。
 昔、マッキンンゼー日本支社長時代の大前研一の話を読んだ事がある。彼が「これからの日本の農業の進むべき方向」というような内容の提言をした時、一斉に反発が起きたという。
 その理由がとても日本らしい。「一度も泥にまみれて田植えをした事の無いお前に農業の事が分かるか!!」というものだった。大前は言う。「私の提言の内容が、日本の農業の未来に資するかどうかと言う事を吟味する以前に、その人そのものを問うというメンタリティーが日本だ」と。私もつくづくそう思う。日本人の多くは、その内容よりも、それを言っている人の人柄によって動かされてゆく。幕末の時代、「西郷さんが言うのなら」とその内容よりも人柄で動いたらしい。
 だから、「何を言うか」より「誰が言うか」が大切だと言う人も居る。しかし、それは不勉強な一般大衆を相手に言う事であって、リーダーとなる人間は、「誰が言うか」では無く「何を言うか」をしっかりと聞く訓練が必要だ。
 私も若手の政治家と向き合って、二種類の価値感がある事に気付いている。1つは、「政治の素人が政治の現場も知らずに何を言うか」と高い所から見下ろす人間と、「この人は何を言おうとしているのだろう」と逆に私が政治の世界に居ないからこそ、話に耳を傾けようとする人間が居る。前者が「誰が言うか」を重視する一派。後者が「何を言うか」を重視する一派。
 東京中心のマスコミ文化が大衆を扇動している以上、又官僚や政治家の多くが東大卒である以上、経済や時流には明るくとも、長い年月をかけて深く追求する文化の分野が薄っぺらだ。得てしてそういう人間がリーダーシップを取ったり権力を握っている。あー、今日も又毒を吐いてしまったような…。次回からは政治や社会なんて生臭い内容は棚上げして、オモシロキコトを書こう。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月22日

生き物の絶えた空虚な海

 昨日私の身の回りで現代の縮図を見た。そして改めてつくづく思った。「この国は危ない」と。
 私がある若手議員の育成塾の助教をしている事は以前にも書いたと思うが、そこでの出来事である。
 ある塾生がいる。彼は若手の議員1年生に成り損なった生徒だ。もっとも、数10票差で涙を飲んだ。政例指定都市の市議選なら殆ど当選と言って良い。その彼は私の目からはまだまだ未熟で、今年1年当塾の事務方というお世話役を全うするという事を条件に、渋々卒塾を許した。しかし、今年の初めから彼を見ていると、塾の開かれる当日の2~3日前にバタバタとして段取りをする。ただ事務連絡をするだけで、自らが動いて能動的に塾を運営しようという意志が見られない。所謂先生の前だけ上手く取り繕う優等生という奴だ。昨年の4月に落選し、未だに職は無い。後援者と称する人に1日お手伝いをして日当を貰っている。ところが、仕事の時間に迎えに行っても寝坊をしていて、携帯も切っている。明日の仕事の段取りも聞いてこない。とうとうこの後、後援者なる人物がキレて、あろう事か、こんな男が当選して税金が使われる位なら、自分が市議になった方がマシだとばかり、その後援者自らが次回の市議選に立候補すると言い出すあり様だ。
 この期に及んで私は、彼の存在は彼1人の問題では無いし、このまま塾に在籍させる事も彼の為にもならないと判断した。一度社会へ出て、私達庶民はどのように働き、生きているのかを実体験しないと、人物としては当選しても政治ゴロにしかならない、というのが私の結論だ。即刻その意を塾頭に指示した。塾としての厳しい一面を見せる必要もあるし、慈愛では無く厳愛で彼に向き合う事も大いな愛である。
 ところがである。その彼がスーツを着て、今月の例会にノコノコと出て来て事務方をやっている。多くの仲間は、「そう言っても彼も仲間だから」や「そんなに厳しくしなくともいいんじゃないの」とか「まだ若いのだから少し大目に見てやれば」というのがどうやら塾の大勢であったようだ。こうやって人に嫌われないようにして、エセの優しさを見せて、若者を甘やかし、この国を駄目にした。一方でこの体たらくなのにも関わらず、日本を我々で革新する等とご立派な理想を揚げている。
 正に漫画だ。「この国は危ない」。しかし頭でしか理解していない。胆識において私にはこの国を本気で誰が憂えているのだろうかと、私は一日寒さに震えた。ああ、賢い人間の量産国、日本。ああ、人物の枯れた国、日本。生き物の絶えた空虚な海。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月21日

時代が少し動きましたね

 私は平成3年に脱サラをしたのですが、当然信用は全く無く、私財の2000万円が底をついた後は、事業資金を町の金融屋さんや闇の金融屋さんという方面から借りた事は、ブログ上で先述しました。その後銀行とも取引を始められるようになっても、15~6年前では未だ担保主義で、借入金を担保出来る不動産か連隊保証人を立てなければ貸して貰えませんでした。
 そんな時の私は銀行の支店長に「担保主義の成れの果てがバブルの崩壊でしょう。融資は経営者の人柄こそが大切なのではないでしょうか???」と身の程も知らずに進言したものです。三菱の創始者岩崎弥太郎は政商として自分の眼力で選んだ男達に金を貸しました。昔の松下幸之助先生も「俺を見込んだというならすぐにこれこれの額面を用立てろ」と当時の住友銀行に法外な融資を吹っかけた。そしてその後、松下と住友の関係が始まります。
 銀行マンの醍醐味は、自分の見込んだ経営者に融資をして、その会社が見込み通りに成長する様子を喜ぶ事では無いか?と私は思っています。かなり古臭い銀行マンかも知れないが、こうような気骨のある銀行や銀行マンは、私達企業家には無くてはならない。一方でこのような眼力を必要とする融資が危険なのもよく分かります。
 実は私はとても気骨のある支店長、支店長代理に恵まれて、信じられないような資金的支援及び精神的支援、経営の助言をいただいて来ました。とは言うものの、やはり未だ担保主義の体質は支店長も私も如何んともし難いものがありました…。

 さて、話は変わって昨日の事。私の友人というか、先輩のプロデューサーが新しいフレンチのお店を手伝ったらしく、オープニングのレセプションに招かれました。三条河原町近くのビルの9階。とにかく三方に広がる市内の絶景に息を飲みました。これはこの景色が何よりのおかずになると思います。多くの来賓に紛れ込んで私も席に着きました。店内はお金をかけず、ある種殺風景にしてあります。その方が外の景色がより生きます。お店の名前は「ラ・ターブル・ドゥ・ティエリ」。覚えられない。そう、お分かりのようにフランス語なのです。フランス料理のお店。そして、150kgはあろうか巨漢の黒人がそのお店のシェフのよう。このシェフが又絵になります。どうもTV番組「料理の鉄人」にも出演した事のある猛者らしい。このシェフの名前がティエリさんらしい。新しい店の門出を祝いながら、私も前述した時代を思い出した、という次第なんです。同席したのが偶然銀行の方という縁も手伝い、何だか感慨深いものがありました。融資の形態も私が支店長に申し上げていたような事もあるとの事。それが又最新の商品として認められている事例もあると聞き、私としてはやっとそこ迄来たか、と思いました。

 独立したての熱い熱い若さと馬力だけの頃の私。「私を見て!!!」「私にお金を貸して!!!」「私は伸びる!!!」と必死に訴えかけていた頃。レセプションの最中、自分の創業の原風景が思い浮かんでは消えました。今は銀行から、私自身の信用と実績を担保に融資を受けられます。時代は変わります。
 頑張ってくださいね、ティエリさん。自然体のままで十分繁盛すると思います。オープニングアクトとして呼ばれた「フライド・プライド」という声に張りのあるとっても元気なジャズシンガーの歌声を聴きながら、最近停滞していた自分に、少し昔の若さと元気が戻ったような気がしました。
 世間は張り切って頑張っているなぁ。ちょっとは見習わなくっちゃ。
 ティエリさん、フライド・プライドさん、御招待いただいた皆様、ありがとうございました。
 P.S. 5月2日12時ランチ4名予約よろしく。


鴨川や東山、北山等を背景に歌うフライド・プライドのお二人。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月17日

葉隠

 今日、四条烏丸の交差点の信号で停まっていた。何となく春の陽気なので窓を開けていた。窓越しに下を見るとスミレの花が咲いていた。こんなに人通りが多く、交通量の多い烏丸通の中央分離帯の僅かな隙間にスミレが咲いていた。淡い紫のスミレでは無く、とても濃い紫のスミレの花だった。私が気付かなければ、一体何人の人がこのスミレの美しさと逞しさに気付くのだろうか…としみじみ思った。
 寒かった冬が過ぎ、待ちに待った春が訪れ、まだ肌寒い花冷えの桜が終わった後に、本当にポカポカと春めいた頃、外へ出掛けるとスミレを子供の頃からよく見かけていた。私にとっては春の訪れと共に優しい気持ちで見つめる可愛いい花だ。小さくとも清楚で可憐なとても私好みな花なのです。
 そんなスミレが、排気ガスがいっぱいで、とても厳しい環境で力強く咲いている光景は、清楚でおしとやかな中に、強い芯を持っている日本女性のようで、実はとても驚かされた。こういう事が本当に強い事なんだと自分に言い聞かせた。
 いろんな意味で今混沌として出口の見えない自分に、とても大切な事を教えてくれたように感じた。本当に強い事って何なのだろうかと改めて自問してみた。
 日本には「葉隠(はがくれ)」という言葉がある。多くの葉の影に隠れて、誰一人その花を見つける事が出来無くても、又誰に褒められる事が無くとも、花としての自分の務めを精一杯に果たし、そして人知れず死んでゆくそういう陰徳の生き方を指している。
 後に鍋島藩の藩士が武士の心得を説いた問答集の名前を「葉隠」と題し、日本の武士道精神のバイブルのようになった。これも、殿様や周囲が見ていようがいようまいが、武士たるものは忠勤に励まねばならないという事からこの題名となったのだろう。
 確かに現代に言う花からイメージする花とはおよそ真逆な花の一生かも知れないけれども、そこに凛とした本当の人間精神の強さを垣間見る。人が何と言おうと、どのような評価を受けようと、私は私の与えられた人生を命の限りに精一杯生ききる。その覚悟が出来た人物に宿るもの、そしてその宿ったものから発せられる気というものは、人々に何かを気付かせる。

 「黙々と精一杯に」「淡々と一所懸命に」
 「恵まれなくとも自分らしく」「不平不満を言わずに生きる」
 スミレ以下の私の脳裡にこんな言葉が浮んでは消えた。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月16日

その時私は気付いた

 今日朝まで30歳の友と語った。ちょうど私と20歳の年の差です。
 最近30代の若者と話す機会が増えた。今の私は年長者として世の中のいろいろな事が見えているように彼らに話す。そんな自分の20年前は一体どうだったのだろうか。振り返ってみると、それはそれは心もとない私が居ました。今日は全く私的な事を一方的に書いておこうという、我が儘な自分です。
 時は昭和61年1月、28歳の青春。980万円の一戸建て。私が始めて買った不動産です。社会人になってちょうど1年目。毎日お弁当を2つ作って貰って、それを食べて昼と夜を過ごした。ただただ仕事漬けになれるように。ひたすら仕事に打ち込んで、ちょうど1年で200万円を貯めました。それを頭金に手に入れたのです。
 今でもはっきりと覚えています。自分で働いて貯めたお金で買った家の、2階の6畳間に大の字に寝ころがってしみじみと沸き上がる感情に浸った事を。「あー俺もやっと大人になれたなぁ。」
 何度かこのブログで書きましたが、私は満20歳の誕生日を病院のベッドに横たわって迎えました。将来への不満の中、大人になった実感なんて何も湧いて来ませんでした。初めて給料をいただいた時もやっぱり実感はありませんでした。ただ、家を買った時に「じわ~っ」と湧いたあの感覚だけは特別でした。それからは、同じようにお弁当を2つ持って会社へ行き、200万円貯まったら家を買いました。一年一軒、十年十軒を目標に私的な年金を作ろうと決めたのでした。
 ところが世はバブルと言われる未曽有の好景気。30歳の時点で五軒の借家のオーナーとなり、計画は順調というよりも前倒し位の勢いです。年収も2000 万円を超え、そろそろ自分の城を持っても良いかなと考え、一軒を売却し、頭金2000万円を手に、6800万円の自宅を購入。昭和63年の冬の出来事でした。自宅は家賃収入を生みません。でも家族水入らず。大姑、姑から離れて自分達だけのファミリー。ちょうど翌春には次女も生まれ、それはそれは幸せな日々でした。
 その時私には人生の幸せの絶頂期にこそ、転落への芽が芽吹いているとは知る由もありませんでした。平成2年から不動産は転落に転じ、平成3年は悪化の一途を辿り、最後には、私と勤め先の社長の考えが対立し辞職。脱サラをして独立する事に。当時の借金が9600万円。会社設立。どんどん貯金は出てゆき、収入は殆どゼロ。自宅のローンが払えず、3000万円の赤字を出して止むなく売却。再び親に泣きつくはめとなり、渋々親元へリターン。この間の5~6年という歳月は、私に多くの事をそれはそれは気付かせてくれました。
 主なものを少し書いてみます。
「転落は成功の頃から始まる。」人間はすべてが上手く運んでいる時には、心も財布も緩み、努力や謙虚、学びという人の成長に欠かせない事を忘れ、浪費、女遊び等、とても楽しく悲しい事を熱心にしてしまう。これは“お金の毒”という事が体に回った結果発する症状で、人間はほぼこの毒にはやられてしまう。一度やられて抵抗力を付ける以外には、殆ど抵抗出来無い。

 「手に入れるより、手に入れたものを失う事の方がとても恐ろしい」…結婚する事は勢いでわりと簡単に出来ても、離婚はその何倍も大変です。同じように努力して苦労して築き手に入れたものを失う事の辛さは、手に入れるための努力の辛さに比べたら、とんでもなく大きい。人はこの失う過程で精神的に自己崩壊する事さえある。私もその中の1人になりつつあった時に、妻が「どうせ何も無いところから築いたんだから、もう一度何も無くなっても頑張ればいいでしょ」と一喝。やっぱり嫁はんは凄いのを貰わないけまへんな。

 「不動産神話の崩壊」…世の中や人々が間違いないと信じている常識というものの、薄っぺらさを身をもって知った。本当に頼れるのは自分の胆識のみ。自分の感覚と頭脳を磨き、フル活用して出た答えを自分の羅針盤にしなければならないと心に誓う。

 「油断とは強者にのみあり、弱者には無い」。油断が生じ、その油断を他人に突かれると、とてもモロイ。逆に強者に油断が生まれるまで、忍び、強者に油断が生じた瞬間、持てる弱者の力をその一点に集中して攻める。

 「敬天愛人」。薩摩の郷中にはいつも「敬天愛人」の額が掛けられていたそうです。人間は若い間から伸びると、どうしても天狗になる。こんな人間の性(さが)を上手く調整してくれるものが「畏敬」というものだ。人間が人間界の頂にまで仮りに登りつめる事が出来たとしても、その上にはまだ天がある。人はどれ程の地位や年令になっても、天を敬う事により謙虚になれる。これが人生を間違わない心の在り方だと先人は教えている。人はどこかに怖い人がいるという事程幸せな事は無い。
 以上このような事を身をもって私は天に教えて貰った。「あ・り・が・と・う」


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月15日

「幸せ」のない国に生まれたかったと思う

 人は誰でも“幸せ”になりたいと思うと信じて疑わないのではないでしょうか。「当たり前じゃないか。今さら…」とお叱りを受けそうです。「でもね。」と私は思う。この世に存在しないものに対しては単語は生まれない。もし世の中が男女の区別が無かったら「人」という単語だけで足りる。男と女という単語は生まれない。もし、この世に「幸せ」というものが無かったら「幸せ」という単語は生まれない。でも、実は全く逆もあって、「不幸」が無くて「幸せ」な状態だけだったら、それは「日常」という単語は生み出せても、「幸せ」という概念は意識にのぼってこない。そう、「幸せ」が日常化している世界では「日常」こそが「幸せ」だという事になる。そんなおとぎ話のような世界は有りはしない。かと思いきや、この地球上には、つい最近まで、或るいは今も存在してるかも知れない。
 分明人と呼ばれるヨーロッパ人が入り込んでくる以前の南米アマゾンのインディオ達は、そんな世界の人々だったのです。彼らの部族には「幸せ」という単語は無い。彼らに何とか通訳をして、「幸せ」と思えるようなものを考えて貰った時の答えがとても素敵だった。敢えてそれらしいものを言うなら、と前置きし「家族みんなが病気をしないで元気な事」かなというのがその答えだった。
 私達文明人には当たり前に思えそうな事が彼らには幸せな事だ。そう!お高く構えて「幸せとは?」なんて問う必要は無いんだと教えられているように私は思った。私達は世の中が複雑になり過ぎて、シンプルな原点を忘れてしまっていると思う。もっと頭を使うのではなく、心を使って原点や本質を感じる自分を大切にしようと思う。
 私が幸せな状態というのは“笑う”という事が普通にある事だと思っている。この“笑う”という単語の語源は「童得」(わらわ・う)と書く。つまり童(わらし)を得るという事です。人は我が子を授かって、我が手に抱き上げると、誰もが例外無くする表情がある。それを人は“笑う”という単語に置き換えた。我が子を抱き上げる時ただ人は幸せなのだ。今、その単語の意味が変わろうとしている。
 我が子を抱き上げても、その子が自分の思い通りに振る舞わなければ敵意を持って殺してしまう親が増えた。本来その子がどうであれ、その子はコウノトリに授かったもので私有物では無い。だから存在そのものを大切に扱う智恵があった。
 子供を自分のものだと思う個人主義の広がりと共に、本来ただただ幸せな親子関係も時として不幸の元凶となる時代となった。やはり、恐ろしい時代になったと思う。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月13日

「連帯保証」を文化的にアプローチしまっせ!!

 今、チベットの人権を中国が抑圧しているという事で、世界の人々が北京オリンピックに反対の声をあげています。先日テレビのコメンテーターが、「アメリカはネイティブインディアンと上手く存しているのに、中国は抑圧しか知らない国だ!」と言っていました。「え、何を言うの??」と反抗する気力さえ失う程ですね。そのアメリカがインディアンを武力で抑圧した歴史認識の欠如も甚だしい。中国はチベットとはそこ迄徹底した武力衝突はまだ発生していない。なんて事を思いながらもテレビを観てる自分が居た。
 かと言って、私は中国の“中華思想”や“恨の文化”はあまりいただけない。中華思想はご存知のように、中国こそが世界の中心であり、世界の華であるという思想だ。だから中国は自らの正統性を主張しているだけなのだが、これがどうも世界の人々は気に食わない。例のギョウザの毒物混入の中国側のコメントに怒りをおぼえた方々は多いと思う。しかし、どこ迄も自分達が正しいという考え方の人々には通じないメンタリティーと言える。
 もう1つの“恨(ハン)の文化”は朝鮮でも色濃いのであるが、先祖の受けた恨みは末代迄語り継ぎ決して忘れてはならないという考え方だ。これはちょっと日本人とは相入れないですね。中国では、敵(かたき)の死んだ墓を暴いて恨みを晴らす事が先祖への孝行となる。文化や考え方が違うという事は、とても大きな事なのだ。
 ちょっと生臭い話になったので、ちょっと話題を替えて、又々京都人文化論を書いてみようと思う。
 京都の老舗(しにせ)の御茶屋さん等は、昔は「一見さんお断り」というルールが有りました。これは、御茶屋さんが、相手の事を十分知らないと満足のゆくおもてなしが出来無いから、初めての方はちょっとご遠慮下さいという意味なのですが、京都以外の人々にとっては、「何をお高くとまってるんだ!!」と少々お怒りを買う事になります。
 私達京都人は、会ってみたい相手に、飛び込みで会いに行くという事はまずしません。まず、自分の周辺の人々を辿りながら、目的の人物につながる最短かつ最適な人物を探し出します。そして必ずその人の紹介を取り付けてから会いに行きます。私はこれこそが本当の意味での京都人の「一見さんお断り」の文化だと思っています。
 日本には連帯保証という世界でも稀な民法がありますが、これは古くからの人の招介を取り付ける文化の名残りだと思っています。招介者が有るのと無いのとでは、別人かと思う位京都人の対応は全く異なります。ですから、一度相手の懐に入れたら、その付き合いの深さは又半端では無いのです。そこ迄入り込むのはとても大変です。そんなレベルですから、入り込んでも相手のレベルにこちらも居ないと、時間をかけて疎遠になってゆきます。それは京都の町衆の反骨精神にその理由があります。1200年の文化と思想の中心であったそのレベルの高さと誇りが、中途半端な“権威”による横暴や押し付けを我慢出来無いのです。長い物に巻かれていたら楽なのは分かっているのに、そこで反発してしまう町衆気質があるのです。
 大学でもそれがよく表れています。官の殿堂東京大学と、学の殿堂京都大学。官僚として国家を動かす体制派に属するのでは無く、自分という人間や、自分の感心を極め、人間として研究し続ける事を是とし、結果的に孤高になるのです。
 “善の研究”で有名な哲学者であり、哲学の道の主人公の西田幾太郎教授は、正にそのような好例です。又、滝川事件(※)等でも分かるように、自分の学問を守るためには、権力と戦う事も辞さないような純粋性もあります。この頑なさと純粋性が生み出した京文化や京都ブランドに人々は憧れるのです。ただ、ブランドになると偽ブランドが横行してくるように、「ブランドである事イコール京都である」という本質的軸が、「京都イコールブランドである」という浅薄な連中の考えでずれてゆく今日この頃です。
 くれぐれも偽京都人と偽京都ブランドにはご用心下さい。本物の京都人は取り付きにくい事をくれぐれもお忘れなく…。

(※)日本が国際連盟を脱退した1933年5月、当時の文相鳩山一郎は京都大学法学部教授滝川幸辰の刑法学説をマルクス主義的であるとして休職処分を発令、著書を発禁にした。これに抗議して法学部教官が辞職、学生やジャーナリズムも反対に立った。ファシズムが色濃くなる戦前の日本において、京都大学で起きた学問の自由及び思想弾圧事件。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月11日

井戸掘り人夫には温泉は掘れない

 私の浜松の友人が教えてくれた。浜松では、井戸は大体50m、温泉は大体500m位掘ると、その水脈に達するとの事。今の私の実家も井戸水を使っています。近所もかなりの家が井戸を持っています。子供の頃は手押しポンプで上下して井戸水を汲んでいました。近所には、つるべ井戸なんてのもまだありました。中を覗くと自分の顔が映るのです。
 昔の井戸は全て手堀り。井戸掘りの職人さんが井戸を掘り当てる訳です。何日もかけてまだ見ぬ水脈めがけて掘り続ける訳です。水脈を掘りあてた時の喜びは、とても今では想像もつかないような喜びだったのでしょうね。井戸を掘る職人さんにとって井戸を掘り当てる事、それが人生における最終的到達点であって、それ以上掘り進むなんて事は考えも及ばない事なのです。
 私達の思考というものも、この井戸掘りと同じじゃないかと思うのです。井戸を掘りあてる事イコール衣食住が足りる事と考えると判り易いのじゃないかと思います。衣食住が足りる人生を、より深めようという目的意識が無いと、人生はその深さで足りてしまう。
 その良い例を私は高校野球に見い出します。甲子園の高校野球を見ていると、甲子園に出場する事、それ自体が最終目標になっているように思えます。甲子園の土を踏むだけでも高校球児の夢と誇りな訳ですから、もうそこで勝利停止に陥っているチームをまま見受けます。例えば、9回裏、僅かに相手にリードされているだけなのに、一度も出場した事の無い控えの選手を正選手に替えて、次々に代打で出場機会を与えている光景を目にします。心情的には共感しますが、私は目標のすり替えが悲しくなります。勝負事は、最後の最後迄どうなるか分からないのです。9回裏で一度も甲子園の土を踏んでいない代打が次々に出てきたら、相手投手はどう思うでしょう。まず、心理的に優位に立ちます。そして、戦略的にも、万一9回裏で同点にされても、正選手に代打を送ったチーム10回以降の攻守は組み立てられません。
 ここで明らかな事は、「次のステージに勝ち進む意志無くして、次のステージは有り得ない」という事です。人間社会に起こる諸々の事柄も、全て還元してゆくと、シンプルな「意志の力」の強弱に至るのです。
 井戸掘り職人に温泉がある事を話しても、甲子園出場が目的の球児に全国制覇がある事も、それを実感として考える事は難しいのです。しかし、一方で、温泉を手に入れた人がいるのも、全国制覇した学校があるのも又事実なのです。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月09日

「ぼ・く・の・ゆ・め」

 皆様はシーラカンスという名のお魚をご存知ですか?
 シーラカンス目は古生代デボン紀(3億5000万年~4億年前)に出現し、約8000万年前にはその殆どが絶滅している。たまたま現在でも2種のシーラカンスの生息が確認されている。その為、生きた化石と呼ばれ、発見当時はたいそう世界を賑わしたらしい。
 系統学的には魚類と陸上脊椎動物の分岐点にあたる進化の特徴を持っている。
 一方、私達人類という種は、凡そ700万年前にその進化が始まったらしいが、その最初の種は絶滅した。その後も生まれては絶滅し、約20万年前に最後に登場したホモ・サピエンスが私達人類となった。一時期はもう1つの種、ネアンデルタール人と共存していた時代も在った。
 いずれにしても、現代地球上に現れた。百歩譲ったとしても、たかだか700万年の進化でしかない。
 何かおかしいと思いません。シーラカンスだって魚類から少し進化した魚なんですよ。3億年も4億年もの時間があるなら、魚類からどんどん進化して、半魚人になって、最後はスーパー魚人に進化する位の時間の余裕は、私達人類よりも遥かに遥かに有ったはずです。
 もっと近い例で言うなら、猿だってそうです。人類が生まれる遥か以前からこの地球上に生まれていたのです。
 つまり、進化には、それ程時間という要素は問題では無いという事なのです。では一体進化の為には何が必要なのかという事が疑問に浮かびます。私はどうもそれは進化への意思なのではないかと考えます。
 人類は、どう考えても、その種よりも進歩向上したいという強い意見を持った生き物で、シーラカンスは今のままの自分で良いと思っている種で、人類とは違った意識の動物であるとしか思えないのです。人類も猿から進化したように、「猿のままで良い」と思う猿と「猿じゃイヤだ」と思う猿がいたはずです。それを未来に目を向けると、今日の人類の中から「今のままの私でいい」という人類と、「今の自分じゃイヤだ」と思う人類がいて、新しい進化した人類に分岐して行くのではないかと思うし、向上心のある「新人類の祖先」と今のままの自分で良いと思っている「旧人類」に分かれるのでは…。
 そして、その進化の鍵を持っているのは男性ではないかとも思っている。種と畑の理論だ。豊かな畑は大切だが、作物を決定するのは畑では無く種だ。だからせいぜい70~80年の人生の時間であっても極限に迄進化の意思を高めるなら、私達人間はどれ程の進化を遂げるのだろうかと思う。
 人類程進化するに適した生物はまだ地球上にはいない。

 今日は、私の壮大の男のロマンを書いてみたいと思う。自分という種を精一杯に進化させ、60歳になったら、北欧、中近東、ロシア、ヨーロッパすベて血が混ざった黒海周辺諸国、多分ルーマニアが第一候補となるだろうが、そこの女性と結ばれる事によって、未来の新人類の父になろうと目論んでいる。
 実はこの壮大かつ素晴らしき夢を長女には話した。条件付きながら了解を得られた。後は妻だ。まだ切り出せずにいる。妻が「No」と言った事はしないというのが私のルールだから。しかし、この人類の未来のための私の計画は妻の「No」をも超える価値があると思っているのだが…。 
 選挙活動のように地道に後援者を増やしてゆかないといけない。選挙迄後10年。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月08日

ラストサムライ

 現代は、お上の名の下に、或いは社会の下に、年功序列、終身雇傭を信じて働いて来た価値観の世代と、個人主義・実力主義の価値観のせめぎ合いの狭間のようだ。我が国だけでは無い。中国も、古い共産主義と資本主義の狭間で国家の統制が取れなくなっている。世界的に見れば、アラブ諸国とアメリカ或いはユーロとドル等、正に時代や価値観の大転換期に差し掛かっている。
 久し振りに『ラストサムライ』のDVDを観た。明治維新後に、古(いにしえ)の国の価値観を武士道の側から美しくも悲しく描いた映画だ。“武士道”精神を持つ渡辺謙演じる勝元の一派が維新政府に立ち向かい、逆賊として最新式の銃火器で全滅させられるラストが壮絶だ。
 しかし、このような古の国の価値観と新しい国の価値観が明治維新という転換点でぶつかったのは、日本のまぎれも無い史実である。そして、その後、文明開化、富国強兵の旗印に近代化を推し進めてゆく。
 正に私の言う美意識の枠組みから経済の枠組みへと日本は転換していった。
 しかし、動物でも一気に絶滅する訳では無く、少しずつ滅んでゆくように“武士道”も又転換点において絶滅した訳では無い。
 今、英徳館の講義所には乃木希典(のぎまれすけ)大将の実筆の書が掛けられている。乃木神社と東郷神社という、2人の軍神をまつる神社があるように、私達日本人からは尊敬された軍人である。ちなみに、二人は戦争では死んでいないので、靖国には当然祀られていない。軍人という職業に就いている人には、まだいくらか武士道が残っていた。私は、ラストサムライとは乃木大将では無いかと思っている。少し乃木大将の事を書こう。
 1849年12月25日(嘉永2年11月11日)生まれ。父は長州の藩士で、江戸の長府藩邸に仕官しており、(今の六本木ヒルズあたり)江戸で生まれる。15歳で元服し、吉田松陰の伯父玉木文之助に師事。1894年には日清戦争、1898年陸軍大将に1904年には日露戦争に従軍する。203高地でのロシア軍との壮絶な戦いは有名。1906年には学習院の院長となり、明治天皇や昭和天皇の教育係として仕えた。明治天皇崩御の後を追って、切腹する。今どき、天皇陛下崩御と共に後を追って死ぬなんて馬鹿馬鹿しくて考えられないでしょう。個人主義、経済優先の時代では、完全に馬鹿だと烙印押されますね。しかし、古の私達の国、日本では、主君の死と共に自らも命を絶つ事は、当たり前で有って、そのような歴史の方が、実は数倍も長く、乃木大将のような死に様を武士の本懐、或いは男子の本懐等とあっぱれと賞讃しこそすれ、馬鹿呼ばわりする者等は殆ど居なかった。
 今の時代には、絶滅しつつある絶滅危惧種の武士道だとしても、そのような美意識による枠組みの価値観で生きた時代があった自分の国の歴史を誇りに思う。映画ラストサムライの監督は外国人だ。しかし、彼らはこの武士道を素晴らしいと感じている。そして、日本の多くの俳優と映画を製作して今の日本人の中にも少なくとも芯の強さと気品を感じる、そしてそれは西洋の俳優には無いとはっきりと言っている。
 日本には武士道があった。これは憧れでも創像でも無い。史実なのです。その事を日本人として生まれ誇りに思う。たったそれだけの事なのです。難しい理屈をこねる必要は私には有りません。勝ち負けや利潤とは違う価値観をつくり上げた私達の祖先を素晴らしいと思う。誰もが自分の両親や祖父母、祖先をつまらない人間だと思う人はいないでしょう。勿論、現代社会の価値観を私は否定しません。
 ただ言いたい事は、私達日本人だけが、現代社会の価値観と武士道という価値観を比較して、どちらかを選べる立場と血を持っているという豊かさなのです。
 形を変えれば、現代建築と京町家のどちらを選ぶか、どちらを美しいと思うかという事と私は違わないとも思っている。随分京町家も壊されて数が少なくなりました。せっかくアメリカ軍の好意で京都だけは空襲しないで残していただいたにもかかわらず。人の心を知らないとでも言えるでしょう。勿論、時代と共に朽ちてもゆきます。でも、町家を残す事で、次世代の若者が、現代建築と町家を選択する豊さは残せると思う。
 幸せとは選択肢の多い人生の事だと私は常々思っている。私は武士道を残し、伝えてゆこうと決めている。
 それが未来の日本の豊かさになると思うから。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月07日

たった一杯のお茶

 「常在戦場」という言葉をご存知でしょうか?
 これは武士としての心得を語った言葉です。実際に戦が有る時はもちろん、戦場にいる訳ですが、そうで無い日常で在っても、武士たるものは戦場に居るのと同様に、緊張感を失ってはならないという事と、命を惜しむなという教えです。これはとても厳しい事には違い有りません。何故ならそれは武士の義務だからなのです。しかし、一方で武士は身分制度の最高位に位置し、政り事を行ない、又、唯一刀という武器の携帯が許されていた。つまり大きな権力に対して、とても厳しい義務が課せられていたと言えます。
 今日、私がブログに記そうと思っているのは、このような権利と義務の話では無く、「お茶」の話なのです。日本には茶道というものが有り、始祖は千利休という堺の商人ですが、武士階級の嗜みとして広がり、後には武士の宗匠、古田織部が武家の茶道を確立している。彼等武家の基本に「常在戦場」が有る訳ですから、その茶一杯、この出会い全てが今世での最後のもので有るという心得で交わりをしたものです。「一期一会」という言葉は、そのような心情を表した言葉として、今日も使われる事が有る。
 私は訪問客を迎える時には、いつも自らお茶かコーヒーを入れる。それも心を込めて、コーヒー等は豆から挽いてお入れする。言葉だけでは無く、1杯のお茶にも1杯のお茶にも命が宿ると考えるのが武士道の考え方です。
 松下幸之助先生は、経営者とは一言で言うと「方向指示器付き茶汲み業」だとおっしゃる。つまり、会社の行く方向を指し示し、後は1人1人頑張っている社員の皆様に有り難うの気持ちを込めて、1杯のお茶を入れる。これが社長業だと。私が心に深く受け止めた言葉です。
 でもそんな事を理解している会社勤めの事務員さんは少ないです。薄くてぬるいお茶を平気で出して来る。こちらから言うとわざわざ取引先に足を運んでいる訳です。その相手の気持ちを感じ取る美しい感性が失われて来た。わざわざ来ていただいた先様に対し、口は出さなくとも「どうも有り難うございます」の気持ちは伝わるものです。まぁ、お茶が出るだけマシで、そんな事すら気が付かない無礼な会社も有りますね。
 或いは、こちらからわざわざ時間を空けて訪問している時にも関わらず、話の途中に携帯にかかって来た用件で長々と話をする無礼な奴。わざわざ訪問している者より電話の相手が優先されるならば、全て電話ですれば良い。人間関係とはそんなものでは無いはずだ。私はそういう社会常識を大人になる前の子供にしっかりと教えなければいけないと思う。
 自分の魂を込めて作った作品は美しいオーラを放つし、一瞬一瞬を命懸けで生きている人は何処か凛としている。こういう輝きを放つ事が出来るためには、勝てば良い、儲かれば良い、金を持っている者が偉いという経済の枠組みの中で生きるのでは無く、名誉や誇り、恥を嫌う美意識の枠組みの中で生きるしか無い。
 しかし、この美意識の枠組みで生きるという事は、こうして記すには簡単だが、実はとても難しい。やってみればすぐに解る事だが、まず経済的に恵まれない。そもそも経済の枠組みで生きていないから当然だが、もっと辛い事は私が出会う殆どの相手は美意識の世界で生きてはいない。という事は、いつも無造作に傷付けられるのは美意識のある側となる。凛として生きようと覚悟する事は中々の難題で有る。しかし、そのような覚悟が出来た者が、稀にこの世に存在する。そんな人との出会いこそが珠玉なのだ。 
 私の塾生で岡山から足を運んでくれるY君はそんな若者だ。しかし彼も職場の問題で傷付いている。ほとほと美意識の枠組みの中で生きるのに疲れる国になったなぁと思う。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月05日

マインドコントロール

 テレビを見ていたら、ある人が興味深い話があったので、忘れない様にブログに記そうと思う。
 それは一杯のカレーの味についての事だ。気の合う仲間とキャンプに出掛けて、自然の中で火をおこして飯ごうでお米を炊いて食べるカレーと、仕事が終わって家に帰って独りで食べるカレーとでは、全く味が違う。その訳とは?の説明だった。
 料理を人は五感で感じるのだが、その味を決める比率は五感で均等なのでは無く、かなりバラツキが有るとの事。まず、その五感というものは、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚なのだ。一般には味覚がやはり大切で、かなりを占めると思ってしまうが、そうだとすると、キャンプのカレーと自宅のカレーの間に前述した味の違いが出るのはおかしい。
 では、その解答を記します。料理を食べる時、1番大事感覚は視覚で83%、2番は聴覚で11%、3番は嗅覚で3%、4番5番は味覚、触覚で残りの3%となるらしい。いざ、数値で目の前にすると、「えー!!」って感じになりますね。
 確かに日本料理やフランス料理は目で楽しむと言いますね。それなりの設えの間(部屋)で、目にも美しい料理を前に、仲居さんや店主がその料理の能書きを語るのを聞いたら、もう殆どその時点で「美味しい」と脳にインプットされてしまいますよね。これは所謂マインドコントロールってヤツですね。
 例えば割烹等を予約し席について、さぁこれからという時に、「今日お出ししました茄子の田楽に使っております茄子は、伝統の京野菜加茂茄子でございます。これは上賀茂の農家の山田さんが丹精込めて有機肥料のみで作られたもので。手前どもにのみ、お取り引きいただいているお品でございます。この加茂茄子は茄子の中でも特に肉厚で、噛むと茄子の味が口いっぱいに広がります。又、歯応えも格別です。一方味噌は地元京都の老舗本田味噌さんのものを使っており、一般には手に入らない当店特製の味噌となっております。この香り立つ旬の味を十分ご堪能下さいませ」ニッコリ。なんて前もってやられちゃったら、そりゃ不味い訳無いですよね。しかもわざわざ遠くから予約をして迄訪れたんだから、美味しいと思って食べなきゃ損、ですよね。
 どうです???なる程なぁって思いませんか?
 昔、テレビで面白い実験をやっていた。AグループとBグループに分けて、同じ写真の男性を見せる。Aグループにはその男性が如何に悪い事をして来たかを聞かせる。一方Bグループにはその男性が如何に世のため人のために尽くして来たかを前もって説明しておく。その上で、前もっての知識は一切無視して、写真だけで見たその人の印象を書いて下さい、いう実験だった。結果は言わずもがな。この手法を使い、人を扇動して誰かを一方的な悪者に仕立てあげたり、キャッチセールスや高額商品の実験販売や新興宗教の勧誘、政治に駆使しているらしい。
 人の感覚とは何と曖昧なものかを思います。風評や一方的な思い込みだけで、人や物事を疑ったり信じたりしていませんか?
 くれぐれもご用心下さい。


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ

2008年04月02日

最近「約束」って何だろうと考える

 社会保険庁に年金を積み立てて来たら、杜撰な管理で、受給の権利が失われていたとか…。
 昔は電話の加入権と称して1回線、高い時で9万円支払って権利を買っていた。私も会社を経営しているので20回線程購入している。ところが、今この20 回線の加入権、殆ど価値が無い。ならば、その金額は詐欺にならないのだろうか?NTTは「いただき!!」とばかりに知らん顔。おまけに私達は損金計上も出来無い。高速道路もそうだ。通行料は建設費に充当し、いずれ無料化しますと公言していながら、未だに既得権の様に前言を翻し、高速道路の通行料を微収し続けている。
 もっと身近な事で驚いた事が有った。郵便局は古い切手を新しい切手に交換してくれる。それで、古い切手を使用せずに交換して貰おうと思ったら、交換手数料1枚に付き、5円だと言う。昔の10円切手を現行のものに交換して貰おうと思ったら、10円切手が5円になる。でもその切手は今も10円で使用出来るものだ。おまけに私がその切手を購入した時にその売り上げは国庫に入っている。国自体が、そして政治家や官僚が平気で破るのだから、世の中、約束反故の花盛り。ビジネスの世界でも約束が平気で破られて行くのだから、もうそりゃ、ちゃんと約束を守ろうとする事が無意味に思えて来る。
 そんな時に自分が傷付かない様に、自分の心を守る方法は1つ。全ての相手に対して、前もって失望して向き合う事。こうすればどんな事が起こっても自分の心は守られる。
 でもね、想像してみて下さいよ。前もって全てに失望しておく人生の意味。これはかなり味気無く、砂を噛む様な思いですよ。しかし、しかしです、こちらがいつも約束を履行し、相手に期待を持って接する事は、今や恐ろしくて出来無くなって来ている自分が居るのも事実です。
 
 今、世の中には「シュガー社員」という言葉が生まれているらしい。「仕事が出来ず甘ったれ、周囲に迷惑をかけても気付かず、常に自分本位に物事を考えている。そのくせ向上心は無く、権利意識だけは異常に強い」。そんなシュガー社員の親は、大抵の場合結婚や出産を機に仕事を諦めた家庭に入った女性で、世はバブル期、「ウチの子は将来大物になる」という幻想を膨らませていった世代です。彼等から「親依存型」のシュガー社員が生まれて来たらしい。
 又、ゆとり教育の期間とも重なり、その世代が成人して、仕事に従事していく条件は完全週休二日で、ゆとり教育の看板の「個性を伸ばし、自分らしく」という文言を、「自分さえ良ければいい」との考え方に都合良くすり変えた。この手の社員を入社させてしまうと、ジワジワと会社を内部から溶かしてしまうらしい。そして彼等に対する対処法、最善策は「採用しない事」だと『シュガー社員が会社を溶かす』の著者田北百樹子さんは書いている。正直恐ろしくなる。
 ところがこの恐ろしい現実に早々に私が直面している。
 理想だけの、社会常識の無い政治家の卵達。簡単な約束でさえ自己都合を振り回し守れない専門学校生。人の軒先を借りながら、礼儀を通せない異常な感覚。恩を仇で返して平気な感性。世話になった年長者を自分達だけの思い込みで貶めるずる賢さ、卑怯さ…。約束を守れないどころか、価値感覚すらおかしい事、枚挙にいとまが無い。 

 世の中の為、人の為に役立つ事が有るならと、胸襟開いて向き合おうとするが、私の胸には響かない。そんな相手にも希望を捨てずに気を長く向き合えという声も有るが、私の心にも「受け止める範囲」というリミッターが有り、守るべき信念も有る。つくづく相手の気持ちになって考える力の無い人々の国、日本になったなぁと悲しくなる。
 私の友人がこの悩みを聞いて、母の教えという言葉をくれた。「人の世話をアホがする、覚えとき」と言われた。
 以前にも同じ様な心境になった事が有る。それでも何とか世の中の役に立てるならと再起したが、今の私は再起不能になる様に、シュガー人間達に少しずつ溶かされている。

 今更ながら、京都人としての感受性の強い性格を恨めしく思う。
 今年の春、桜は満開だが、寒過ぎて一歩も花見に出られない。寂しい4月です。

参考文献 『シュガー社員が会社を溶かす』 田北百樹子著


●TOKI-WA-SOHオフィシャルサイトはこちらからどうぞ